2008年01月21日

上級救命技能認定講習

過去に、防災士の資格を取得する際に必要であった普通救命技能認定が、そろそろ3年を迎えることとなり、1ランク上の上級救命技能認定講習を受けました。

普通救命技能講習よりかなり内容が濃く、また、5年に1度の見直しが有るとのことで、今回用いたテキストは2005年版。CRP(心肺蘇生術)の方法で胸部圧迫15回に対して2回の人工呼吸が30対2になっていたり、AED(自動体外式除細動器)のパッドで小児用の使用方法も新たに加わっており、再講習の必要性を感じた次第です。

人体搬送の背部から後方に移動する方法として、テキストに表示してある方法以外に、最近いろいろなところで紹介されている古武道研究家の甲野善紀氏の技をご紹介。

私より体格の良い方を選んで、引き起こして移動。女性でも問題なく起こせるので、この方法は今後のグローバルスタンダードになるかも知れません。
いずれにせよ8時間にわたる講習を受け、簡単な試験も無事終了。

地元の自治会でも2年に1回、消防署の方をお呼びして、普通救命技能認定講習会を行っています。1,400円のテキスト代は自治会が負担。約3時間程度の講習で、参加された方全員に普通救命技能認定証が授与されます。

いざという時、人命を救える術を知ることは大変重要です。

皆さんも是非講習会に参加してください。貴方の目の前で倒れた方を救うために・・・・・!

救命講習
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E5%91%BD%E8%AC%9B%E7%BF%92

東京消防庁
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/lfe/kyuu-adv/life01-1.htm

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【日記の最新記事】
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2008年01月15日

賀正

新年明けましておめでとうございます。
と、言いましても既に15日が過ぎ、新年早々公私共に多忙な日々が続いており、気力も充実。
しかし、日本の経済は、米国のサブプライム問題や原油高が引き金となって株安となっているが、このまま下がり続けるとは思えない。日本の底力は、まだまだ健在であると思いたい。。


全てはこの年頭で決まる。今年1年間、仕事に関しては、間断なく忙しい日々が続いてくれれば有り難い。いや、そのような1年間にして行きたい。


今年もよろしくお願いいたします。

posted by 茂左右衛門 at 22:22| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

仕事納め

今月は、仕事の量が格段に増えて、多忙な12月となった。


また、地元の自治会では、餅つき大会の役員や夜回りパトロールやらで、公私共に師走に相応しい忙しい日々を過ごしたが不思議と疲れは感じない。


忙しいことは有難い事だと、つくづく感じる。

本日で、本年の仕事納めとなったが。良いことも、悪いことも含めて大変苦しい年であった。

来年こそ、本当に良い年であるよう心から願う次第である
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2007年12月15日

世田谷ボロ市

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毎年12月15日・16日と1月15日・16日に開催される世田谷ボロ市に数年ぶりに行って来ました。

世田谷ボロ市は、天正6年(1578年)に小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりで、世田谷を代表する伝統行事として、470年以上の歴史を有しています。

最初は古着や古道具など農産物等を持ち寄ったことから「ボロ市」という名前がついたとされていますが、現在では骨董品、日用雑貨、古本や中古ゲームソフトを売る露天もあり、代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、約700店の露天が所狭しと並び、毎年多くの人々で賑います。

今年は土日にかかっているためか、芋を洗うような人出。なかなか思うように進めません。刀の鍔や模擬刀。神棚も積まれておりました。

帰りがけにいつも行きつけの焼鳥屋「コヤマ」で焼き鳥を食べながら日本酒を飲んで一息ついてきました。

人の間をすり抜けて進む方法があります。それは、膝を緩めてナンバ歩きをします。これが面白いようにスルリスルリとすり抜けることが出来ます。皆様もお試しあれ。

明日も絶好のボロ市日和。
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posted by 茂左右衛門 at 22:04| 東京 晴れ| Comment(10) | TrackBack(0) | 散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月02日

餅つきパート1

今日は自治会に隣接している児童館で、餅つきを行った。つきあげたお餅は、餅米50kg分。
かなりつき応えがあったが、近所の子どもや大人たちに無料でふるまわれた。

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見ていたお父さんやお母さん達も、餅つきに参加してもらい、疲れたら交代を繰り返しながら、うっすらと汗を掻くまでついて、出来上がったお餅を納豆やあんこ、鰹節と長ネギのみじん切りを醤油で和えたもの、大根下ろし、黄粉、はたまた豚汁の中に落としてお雑煮風にしていただいた。

私も、賄いででた「八海山」をちびりちびりとやりながら、蒸籠から蒸し上がった餅米を臼に入れ、杵でコネ回して下地を作り、居合の真っ向斬りの要領で、膝を緩めてぺったんぺったんと、返しの係りの方と掛け声を掛け合いながらリズミカルついたが、久しぶりの肉体労働は、さすがに応えた・・・!

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実はこの餅つきは、今月の22日に自治会でも開催。
これがパート2になるのである。

22日は、正月も近いので、伸し餅と鏡餅をそれぞれ作ってもらう企画。
当日の夜は恒例の映写会も開催。
プロジェクターで昔懐かしの映画を上映する。

この日は最後まで身体が持つかどうか、今から不安でたまらない。
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2007年11月30日

食品衛生責任者

今日は午前9時45分から、渋谷区神宮前にある社団法人東京都食品衛生協会で、食品衛生責任者の講習を受講。

これは、地元の自治会イベント等で、屋台を出して焼きそばや、フランクフルトを販売する際、食品衛生責任者を置かなければならないとのことで、受けることとなった。自治会に資格を取得した方は2名ほどいるが、高齢のため現場対応ができないための措置。

講習会場には約200名の受講者が来場。講習内容は午前中が衛生法規と公衆衛生学。午後は食品衛生学とテストで午後4時30分まで、かなり中身の濃い講義が受けられた。

新しく飲食店を出す時も、営業許可をとる際に食品衛生責任者を置かないと許可されないとのこと。

ということは、私も店を出す資格を一つ得たということか・・・。

そういえば、デザイン業界の先輩が、本業をすっぱりと畳んでラーメンの屋台を始めたことが記憶に蘇る。屋台は半年ほどで卒業して店舗を構えられ、数年間営業。大変繁盛されていた。

その時は、確か2日がかりで受講されていたようである。

私も本業が危うくなったら、屋台で営業も視野に入れなければ?ならないかも知れない。

いや、サイドビジネスで喫茶店なんぞ良いかもと、夢を膨らませてみる。

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posted by 茂左右衛門 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

馬事公苑

11月25日天気が良いのに誘われて、妻と久しぶり馬事公苑に出かけた。

馬事公苑は昭和15年9月29日、日本競馬会が創設・開苑。

開苑当時、「園」は植物のある庭、「苑」は動物のいる庭という意味から、馬事公苑は日比谷公園や上野公園のように“都民に憩いの場所を提供する”という意味。そして動物を飼っている囲いのある所という意味で「馬事公苑」と名付けられた。

開苑の頃は馬の他に孔雀やほろほろ鳥も苑内で飼われていたという。また、御苑(皇室所有の庭園)の苑をとり、一般の公園とは違うという意味も含んで名付けられた。

馬事公苑の名称命名者は、当時農林省監督官であった石井英之助氏。石井氏は事務官数名に集合をかけ、世田谷に建設する馬事関係施設の名称について相談、最終的に馬事公苑と言う名称が決定。


公苑内には東京オリンピック記念碑がひっそりと佇んでいる。
グラスアリーナの雑木林側に城壁のミニチュアのような石垣が築かれている。

昭和38年2月、日本中央競馬会本部事務所新築工事(新橋)が着工され、地中の掘り返しを行なっていた時、多量の間知石が出てきた。

この敷地の一部が江戸時代の外堀の護岸にあたっていたことから、石の表面には大名の家紋が刻まれていた。

この石は、大変貴重な石であるとのことから、当時の石坂弘理事長と津軽義孝苑長の発議で、その一部を馬事公苑や東京競馬場に運搬し、馬事公苑ではオリンピック開催の記念碑として建立したそうである。
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2007年11月21日

吉田松陰

今日いろいろと調べごとをしていたら、ふと吉田松蔭に辿り着いた。
偶然にも今日は吉田松陰の命日。和暦では安政6年10月27日だが西暦では1859年11月21日である。
吉田松陰に思いを馳せてみる。


『吉田松陰がもっとも充実して活躍したのは、25歳から30歳までの約6年間であった。
ところが、この期間の半分近くが獄中生活であった。
まったく自由を奪われた状態の中で、松陰は社会を動かす大事をやってのけた。
また、人々を感動させた。そしてなによりも、たゆまず自己を磨くことに努めた。

獄中はまたとない勉学の場とした。同じ牢にいた人々に、一緒に勉強しようではないかと皆に誘いをかけた。
勉強方法として「お互いそれぞれ得意とするもので師匠になろうではないか」と相談を持ちかけた。

世間から除け者にされている彼らには、これは耳を疑う驚きであった。
自分が人に何かを教える……先生といわれる。そんな事があろうか、思ってもみなかった。
それが実現した。富永有隣(在獄4年)かつて明倫館の秀才を書の師匠に、吉村善作は俳句の師匠になった。

松陰は「孟子」講義を34回する。開講にあたって下記のように述べた。
「人と生まれて人の道を知らないでは、恥ずかしい限りである。この恥じるという気持ちがあるなら、書を読み道を学ぶ以外にない。そして、道理を知れば、心は充実してくる。功利を抜きにして学ぼう」。

松陰の人格と思想をにじませた講義に、司獄(刑務所長)の副川犀之助は強く感銘を受け、感動のあまり獄中の松陰に弟子の礼をとったのである。その上、弟の高橋藤之進も連れてきて、弟子の礼をとらせた。

松陰の講義が始まると、廊下に端座して、牢格子の中から聞こえてくる所説に耳をかたむけた。師匠が牢内、弟子が牢外の授業であった。司獄の福川犀之助は、松陰が夜も読書や執筆が出来るように行灯を入れてあげたいと考え、願い出て許可された。

その12月に許され実家での幽閉の身となった。これが松下村塾の始まりとなる。教室は八畳と後に増築した十畳間の2室。この十坪ほどの小さくて粗末な塾舎から、松陰に感化され育てられた若い弟子たちは、松陰が火を噴くように語る気迫に、深い感銘を受け、それはそのまま変革精神の培養となり、維新回天の青年志士を輩出することになる。

松陰の講義は全く形式にとらわれることなく、松陰が全人格で弟子たちにぶつかっていく教育態度にあった。師弟の情熱と意欲が一つの魂となり、その感化力が教えられる者に感応して奮い立ったのである。この師弟関係は教育の本質を示している。

松蔭が斬首される1年前に弟子達に贈った漢詩がある。

「志を立てるためには
人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに
時を過ごすことのないように」

そして安政6年(1859年)の今日江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される。享年30(29歳没)

松陰は言った『最後の最後まで私には一つの守り札がある。「至誠にして動からざる者は、いまだこれあらざるなり」「身はたとい 武蔵野の野辺に朽ちぬとも とどめおかまし大和魂』辞世の歌である。』

吉田松蔭の死後、高杉晋作などの門人によって小塚原の回向院あった松蔭の墓が世田谷の若林に改葬された。
世田谷の松蔭神社に静かに眠っている。

http://www.shoinjinja.org/

これも何かの縁なのか、安政の大獄を行った井伊直弼の墓所は世田谷の豪徳寺にある。

http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/goutokuji.htm

松陰神社から歩いて数分、約500メートルのところに・・・。
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posted by 茂左右衛門 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

軸との戦い

ある詩人が「人間は地軸と戦いながら立ったり座ったり、歩いているのだ、ということをきちんと教えなければいけない」と書いている。私たちは軸というものを全く意識せずに生活しているが、左右、前後、上下、そして中心となる軸が必ずある。

体が傾けば意識せずに軸が働き元に戻ろうとする。


普段意識していない軸を意識してみる。
すると軸がぶれれば、全てがぶれてくるのがわかる。

野坂政司さんという詩人が

「私たちは地軸と戦いながら、感情の急流を下り、思想の山登りをし、意思を地平の果てまで放つ。

その時間の流れの途中で時々地軸を忘れる。元気な時には舞い上がることによって地軸を忘れる。

消耗した時には崩れ落ちながら地軸を忘れる。

自分の立つ重力場を自分の目で外から鳥瞰できると良い。それが地軸と戦う想像力であり、真っ直ぐに立つ意志である。」と

この方も武道家であった。

自分の軸を意識する生活。人生の軸とは何かを、深く考えてみることも
時には必要なのかもしれない。
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posted by 茂左右衛門 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする